前に手ぬぐいの素材になっている木綿の話「手ぬぐい素材のウラ話 「羊のなる木」」を書きました。
エジプトから始まり、インド~ヨーロッパということを書きましたが、当然アメリカや中国など他の国にもんな形で木綿の文化は広がって来ました。
手ぬぐいというすばらしい生活文化を生みだした日本にも木綿の歴史というか物語はあります。
今日はちょっとその話をさせてくださいね。
日本後記によると、一番最初の木綿栽培は現在の愛知県三河地方に漂流したインド人が始めたとされているようです。
でも、この栽培活動は1年ほどで途絶えたといいます。その後は、中国や韓国からの輸入に頼る形になり、長い間高級品として扱われてきました。
16世紀以降に本格的な栽培が広まり、戦国時代後期から全国的に使用が普及したため、三河などで綿花の栽培も始まります。江戸時代に入り、各地に大生産地帯が出来、特に大阪近郊などにおいて生産が盛んになります。これにつれて、木綿問屋などが盛んになり、藍染め関連の産業も栄えていきました。
大阪で繊維産業が発展した背景にはこういった綿花の栽培拡大があったんですね。
その後明治時代には、世界一の輸出量を誇るまでになった木綿ですが、東南アジアなど海外の安い綿花が輸入されるようになり生産量は激減。統計上の国内生産量は0%になりました。
そしてご存知の通り、ナイロンやポリエステルなど化学繊維の登場により、木綿の需要も減っていきます。化学繊維は大量生産がききますし、品質も安定します。また、木綿の弱点のひとつの「シワになりやすい」という点にも強いので、木綿は化学繊維にとって代られるようになります。
たしかに洋服などの素材として考えると、不利な点があることはいなめませんが、手ぬぐい・風呂敷といった分野に関しては、木綿以外の素材は考えられません。
素材自体の強さ、吸水性、通気性の良さなど手ぬぐいにとっては必要不可欠な要素がつまっています。そして厚手にすれば保温性も高まるため、手ぬぐいマフラーとしても使えます。
実質上国内生産が0%と言われる綿ですが、実際には個人や少数のグループが栽培をしています。
今、環境や体に優しい素材に注目が集まっていますが、100%国産のオーガニックコットンを使った製品が数多く出回るようになればいいなあと思っています。